隣の世界の覗き窓

映画とか…漫画とか…虚構の世界をレビューするブログです。

めめめのくらげ(2013)《後編》


めめめのくらげ(2013)《前編》


前回のエントリの続きです。「めめめのくらげ」観賞後に思うこと。子ども向けなのに大人の感想で申し訳ないんすけどね…。個人的な感想として書いていきます。


アイディアはいいのに物語がない
“ふれんど”(=絶対に裏切らない友達)とはなんなのか
今作の目玉である“ふれんど”というキャラクター達。さすが村上隆!といえる素晴らしいオリジナリティの造形の数々です。作中では子ども達が一人一体、ほとんどパートナーとしてこの“ふれんど”を持っています。“ふれんど”で特筆すべき特徴は、彼らの存在は「子どもたちの負のエネルギーが実体化したもの」であること(!)。“ふれんど”は絶対に君を裏切らない友達。もうこの設定だけでご飯3杯いけるくらい個人的にはwktkです…(笑)


マサシが引っ越してきた町には小高い山の上に怪しい研究所があって、“ふれんど”とはどうやらそこでやってる怪しい研究の中で生まれた生き物?らしいです。研究所では“世界中の悪いことをなくすための研究”が行われています。作中では黒いマントの四人衆の学会発表のようなPRビデオのようなものであっさり全部説明してくれます。この説明がどうにも早足でよくわからないうちに終わってしまうんですが、ざっくり言うと

私たちは天災の発生メカニズムを画期的な方法で解明しました。

宇宙を大きな一つの生命とみなすと、宇宙で起こるさまざまな活動はそもそも生命エネルギーが引き起こしています。

ということはその生命エネルギーを支配してコントロールできれば天災はなくなるのです!

そして最も純粋で大きなエネルギーを持っているのは子どもです。

子どもの心から発生する怒りや哀しみといった負のエネルギーこそが最強です。

我々(研究所)は八卦陣を使ってそのエネルギーを抽出することに成功しました。

その過程でエネルギーは“ふれんど”として実体化しました。“ふれんど”は子どもの心と共鳴します。


結局“ふれんど”と子どもをどのように利用するのかは具体的に語られないんですが(説明不足では?)、とりあえず“ふれんど”と子ども達は泳がせといて、なんとなく“ふれんど”を仲介して子どもの負のエネルギーを集めよう…という雰囲気は感じられます(“デバイス”で集めるんだったかな?)。基本、黒づくめの四人衆が実験的にあれこれ試しているようです。


で、この“ふれんど”と子ども達の関係が今ひとつはっきりしないんですよねぇ。まず“ふれんど”一体一体の出自が謎。子ども達みんなが一人一体持ってるんだけど、例えばジョジョのスタンドみたいに、子ども一人ひとりの個性(負のエネルギー)が反映されて生まれたものなのか、あるいはあくまで“ふれんど”は負のエネルギーの総体から生まれてきたのが、後から子どもとマッチングして、そのあと双方向に影響しあうのか…(なんとなく後者っぽい)。主人公マサシとくらげ坊がなぜ出会い、共鳴できたのかもよく分かりません(もしかして偶然出会った子どもとすぐリンクできるんでしょうか)。


くらげ坊がやたら強いのも、マサシが震災で父親をなくした深い哀しみを背負っているからということなのでしょうけども、その割には他の子どもがどんなストレスを抱えていて、それがどのように“ふれんど”たちに反映されているのか…そういう部分が描かれません(悪さして親に怒られたりしてますけどね)。物語中盤で唐突に登場してその後無双してしまう引きこもりくんの“ふれんど”であるKO2ちゃんは確かに強いし、なんとなく負のエネルギーが大きいほど強い…みたいな匂わせ方はあるんですけどね。子どもの怒りや哀しみが強まるほど“ふれんど”が共鳴して強くなる…という直接的な描写はなかったように思います。ヒロインのサキは母親がカルト宗教にハマってるとかの理由はあるんですが、それが原因であんなでっかいもじゃもじゃな“ふれんど”になっちゃうの…?とか。今ひとつその辺の設定は浅めな気がします。


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サキの“ふれんど” るくそー
どんだけ負のエネルギーがあればこの大きさになるのでしょうか…w



結局、“ふれんど”=負のエネルギー=絶対に裏切らない友達……というすごくいいアイディアを用いてるのに関わらず、それが物語づくりにはうまく活かされていません。今作のモチーフとして“震災後”というテーマが大きくあるはずなんですが、心の傷とかマイナスの感情といったものをどうしていけばいいのか、子どものそういうエネルギーはどこへ向かって行くのか、そういう気持ちを“敵”として捉えずに“ふれんど=友達”になろう、そういうエネルギーは利用して、みんなでより大きなもの(=ラスボス)に立ち向かおう!…ということなのか……うーーん。。。画面に映し出されているものからはもうひとつ汲み取ることができませんでした。


素晴らしい映像美。なんだけど…
今作最大の目玉はVFXを駆使しして実写映像に溶け込む“ふれんど”のアクションでしょう。これはもうほんと、必見です。こんなにも自然に珍獣達が人間と一緒に画面に定着するとは…。特に序盤と中盤の“ふれんど”同士のバトルシーンは圧巻!!戦闘方法も物理的な打撃が多いのがいいですね。迫力があります。


さて、これに対して最も残念なのが実写パートのチープさです。。実写パートというか、全編通して物語があるようでない。設定のみがあるだけでストーリーが語れない…そんな印象です。フィクションを通じて何を物語りたいのか…という構想自体がそもそも存在しないような気さえしました。クオリティの高いCG映像を受け止めるだけの強度が実写映像(&ドラマ)にありません。


染谷将太窪田正孝などなど、せっかく実力のある若手俳優を起用しているのに、まったく活かしきれてないのも残念です。。)


羅列するとキリがないんですが、人物達の行動がいつも唐突で説得力や必然性が感じられないし、どの人物にどんな役割が与えられているのかもはっきりしません。引きこもりくんは物語中盤で急に現れて、そもそもなんで学校に行かないのかよく分からないし、直人おじさんは研究所で働いて何がしたいのか、マサシを救いたいのか守りたいのか……。マサシが父親をなくしたことについてどのくらい心を痛めているのかも画面からはもう一つ哀しみとかやるせなさが伝わって来ない。そういう実写ドラマの撮り方?が単純にヘタクソだなぁと。。(すいません)


そして何より子ども達と“ふれんど”がどのように心を通わせているのかが全然描かれていないんです。マサシとサキ以外の子どもは“デバイス”で“ふれんど”を操るのみで、“ふれんど”を友達というよりはむしろ道具として使っているようにさえ見えます。闘わせるだけで意思疎通している様子がないんです。「心を通わす…」というのは本作で結構大事なテーマではないんでしょうか……。。


基本的にどんどん説明不足のまま話が進んでいくので、全編を通じて「何が」「どういう理由で」起こっているのかが分からないまま。これでは映像がめまぐるしいだけのC級パニック映画を観ているようなものです。ちょっと辟易としてしまいました。(それとも、子どもを飽きさせないためにはそれでいいってこと?)


・一番意味が分からなかったのは、研究所で開催されているなぞのお祭り…。若年の人達が自堕落に遊んでいるように見えましたが……、何かの象徴でしょうか。それとも村上隆氏の思い入れがある何かの引用?(勉強不足ですいません)あれはすごい気持ち悪かったです。。
・それから学校のプールでマサシとサキがイチャつくシーンも…あれはいくらなんでも、“ない”んじゃないでしょうか…w
・突然出てきたニセ直人おじさんはなんだったんですかね。人造人間?マサシにおじさんが死んだとか、死んだはずのおじさんが攻撃してくるとか、そういうことで精神的なダメージを与えたかったんでしょうか。。
・サルに良く似た“ふれんど”を持っているマナトくん。クライマックスで急にクラスのイニシアチブをとってリーダシップを発揮するんですが…この子のキャラってそういう役割なの…?現実にはそういうこともあり得るとは思うけど…。うーん。。


爆発する子どもの感情
「めめめのくらげ」で唯一映画としてオリジナリティがあると思ったのは、子どもの表情のクロースアップを多様していることです。バストショットもありますが、とにかく顔のドアップがよかった。しかもその表情の数々が感情剥き出しでとっても豊か。このくらいの年齢層の子達がこういう撮り方をされた作品ってあんまり見たことないなぁ。


フランソワ・トリュフォーは「大人は判ってくれない」で特にプロットに関係がないにもかかわらず、観劇中の子ども達の生き生きとした表情の映像を挿入したりしていましたが…。彼の言葉をかりれば、やっぱり子どもというのはアプリオリにドラマチックな素材ということなんでしょうねぇ。


特に子ども達の「怒り」の表情。感情剥き出しで相手に喰ってかかる顔、顔、顔…。これが本当によかった。もっと見せてほしかったくらいですね。マサシがサキに向かって怒鳴るシーンなんかもう怒りというか、ほとんど「癇癪」を起こしているといってもいいくらいだと思います。こういう爆発する子どもの感情が唯一CG映像に勝る強度を持っていました。振り返ってみると子ども達はみんないい表情していましたね。名前忘れたけど、マサシを睨みつけるクラスメートとか、引きこもりくんの人を喰ったような顔とか、草むらから盗み聴きをしていたマナトの「きーきーまーしーたー!」の顔はなんだか狂気さえ感じたましたよ僕は…w


やっぱり特撮の文法だったのかな
思うままに書いてきたらだらだらになってしまいましたが、ここまで書いてきて思うのは、あ、たぶん俺最初から観方間違ったかな?ってことですね。「めめめのくらげ」は基本的に“特撮もの”の文法でつくられている気がします。仮面ライダー、ウルトラマン、戦隊ヒーローみたいなね。そういう作品ってまぁ、小難しいことは抜き。ドラマはチープ。チート使い放題…みたいなところがあり、場面場面の繋がりとかよりも定型的な物語展開が優先されますもんね。(巨大ロボ・怪獣の登場、変身、爆発…etc)今回は心のどこかでアニメ作品を観るという先入観があって、これちょっと違うな…と感じてしまったのかもしれません。


ただ、今作にはヒーローはいないわけで、メインのアイコンは前回のエントリにも書いた「ボーイ・ミーツ・エイリアン」な構造なんですね。そうやって考えると、「めめめのくらげ」は特撮もの×モンスターもの?の融合的な試みなのかなぁと思います。実写だしね。それって結構新しくて、オリジナリティのあるアプローチじゃないでしょうか。ストーリーもいまや感動作金字塔であるポケモン映画みたいなものというより、ウルトラマンくらいの簡単さってことなのかな。


で、も、、「めめめのくらげ」やっぱりそういう2つのジャンル感のあるものを融合して新しい地点に昇華・着地する……という感じにうまくはいっていないと思います。


なんというか、結局表面的な引用をたくさんしているけど、それを支える物語が弱すぎて、映画として耐久度のあるものになっていない…というのが僕の感想ですね。


そういうわけで、楽しみに観に行ったけど、なんだか残念だったなーという印象でした。でもまぁ、面白いかどうかは子ども達が判断すればいいよね。結構子どもは一生懸命になって観ているっていう評価もよく目にしました。


次回作もある
個人的には村上隆氏はアイディアとデザインに徹して、CGやアニメーション制作はカイカイキキが担い、あとは話作りがきちんと出来る人を連れてきて、映画は最低限映画の文法で撮る…という風にしたら結構面白いものが出来上がるんじゃないかと思います。まぁアートとして先端的なものが出来上がるかは別だし、保守的なことばっかりしててもいいものが生まれるわけでもないけど、今回みたいな感じだと正直別に映画という媒体じゃなくてもいいんじゃないかなと思ってしまう。映画として造るならもっと人間を描いて欲しいなぁと…。フィクションで何を語るのか、固めて欲しいなと…。


どうやら連作のようなので「めめめのくらげ2」がどうなるのか、期待です。なんか予告観るかぎり、2の方が面白そうでしたw


ちゃんちゃん。


蛇足あれこれ

〜その1〜

本人もこんなつぶやきをしてるくらいなので、もしかするとストーリーそのものについては優先度が低いのかもしれません。


〜その2〜


めめめ音頭 - YouTube


めめめ音頭。素晴らしいアニメーションです。こういうの見ちゃうと、やっぱアニメで良かったんじゃないの…とか思ってしまいますね…。


〜その3〜

実は「めめめのくらげ」は今から12、3年前に当初企画したときは、群馬県の奥地にブラジル人が出稼ぎでいっぱい働いている集落があるという話を聞いて、思いついたストーリーなんです。日本社会内の隠された移民という異文化の衝突と融和を描こうと思ったんです。そこには日本 生まれのブラジル人少女がいて、都会で事業に失敗した親子が田舎に来て、その子、男の子が少女と出会い、そこに妖怪が登場し、文化の衝突 に手を差し伸べる、という話でした。日本社会内に衝突が見えなかったんで、そういう部分に裂け目を探しだして、お話のリアリティを造ろうとしたんです。
公式サイトロングインタビューより)


群馬県太田市のことでしょうね。個人的にはこっちのが面白そうww


〜その4〜

今の日本、本当にどん底だし、政治も何もかも、大人、全くダメじゃないですか。このストーリーに出てくる大人、全員何もできない人々なんです。だから子供が自分で考え、動くしか無いんです。

それが日本の今のリアルって思ってます。そういう部分も寓話にもりこみ、「君たちが頑張らんと問題解決しないだよ!」という。もう、闇雲な元気というか。「暗闇の世界に闇雲に生きろ!」って、テーマはそういうことでしょうか。
公式サイトロングインタビューより)


うーん、確かに震災後にいろんな基準のようなものが危うくなり、大人も混乱している。そういうカオスな感じが「めめめのくらげ」にもありましたが…(研究所は明らかに原発のメタファーだし、対立するカルト宗教はラウドな反原発集団そのものでした)。なんかただ気持ち悪いだけっていうか、そういう描き方でいいの?と思っちゃいますね。。この違和感はうまく言葉にできないんですが。。


クライマックスで子どもたちが立ち上がったシーンは、どうにもカオスの中でますますカオスが増幅しているように見えました。パニックに次ぐパニック。ぐちゃぐちゃの中でもっとぐちゃぐちゃに頑張る……あ、そしたらそれでなんとかなった……みたいなね。それでいいのかなぁ……。